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大阪高等裁判所 昭和27年(ツ)20号 判決

上告人 控訴人・被告 松村常一

訴訟代理人 山本正司

被上告人 被控訴人・原告 日本セメント株式会社

訴訟代理人 永沢信義

主文

原判決を破棄する。

本件を大阪地方裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人弁護士山本正司の上告理由は別紙のとおりであつて、これについての当裁判所の判断は次のとおりである。

原審は第一審判決添附の第三目録記載の家屋が被上告会社の社宅であつて、被上告会社の従業員であつた上告人がこれを賃料一ケ月につき金三〇円毎月末払退社と同時に明け渡すことと定めて賃借してきたところ、上告人は昭和二五年一一月七日被上告会社を退職したことは当事者間に争いがないとして事実を確定し、所論のとおり、従業員が退職と同時に明け渡す定めのもとに社宅を賃借した場合には退職とともに当然明け渡すべき義務が生ずると判示し、本件家屋の明渡と訴状送達の翌日である昭和二六年七月一八日より明渡まで一ケ月につき金三〇円の支払を求める被上告会社の本訴請求を正当として認容しているのである。これによれば原審はかような社宅の賃貸借には借家法の適用がないことを前提として判断しているものと思われる。しかしながら、いわゆる社宅その他雇傭主である使用者が被用者である従業員の居住の用に供している貸与住宅(以下社宅という)である建物の利用についての法律関係が、使用貸借ではなくて、賃貸借であるときは、右社宅の賃貸借には当然借家法の適用があるものというべく、賃貸借の目的が社宅であるからといつて、これを一般の建物の賃貸借とは別異に解すべき根拠はないのである。けだし、社宅は従業員一般を対象とする権利厚生施設の一つであるとともに、これを開設し従業員の居住の用に供することによつて使用者の事業の実施にも利益と便宜をもたらすものであるが、従業員は従業員であることからその当然の権利として社宅の利用享有を主張し得るものではないし、また使用者は使用者の義務として従業員に社宅を開設提供しなければならないものでもないのである。従つて或る建物の社宅としての利用は雇傭関係なくしては考えられないが、雇傭関係と社宅利用関係とは相表裏し随伴するものではなくまた両関係が開始の時点において同時でなければならぬということは勿論できない。それと同様に、社宅を賃借利用している従業員について雇傭関係が終了すれば、社宅たる建物の利用関係も終了しなければならぬという要請はなく、いわんや、両関係は終了の時点において同時としなければならぬという要請はない。従業員の身分を失つた者の利用に委ねているときは、その限りにおいて建物は社宅としての性質効用を停止するか、建物の賃貸借であることには、社宅としての性質効用を具有発揮していようと、いまいと終始変動はないのである。社宅と呼ばれようと、それは賃借権の目的になつている建物である。建物の賃借人は賃借人として正当に保護されなければならない。社宅であるからとて、社宅たる建物の譲受人とか抵当権者がこの賃借権を無視することが許される道理はない。社宅であるからとて、使用者に、従業員が使用者の同意を得て建物に附加した造作についての買取請求を拒むことを認めて良い筋合いはない。社宅であるからとて、使用者の要求があるときは何時でも、従業員はその家族とともに直ちに社宅から退去しなければならないとされても当然だというわけにはいかない。借家法の各規定を検討しても、社宅の賃貸借であるが故に適用を排除するのが相当と解すべきものは存しない。しかも社宅を賃借中の従業員について身分関係の喪失もしくは変動が生じたときは、その事実そのものが使用者の行う社宅の賃貸借の解約申入に強度の正当性を附与する事由と認めべきであろうから、借家法第一条の二の適用を認めたとて、賃貸人たる使用者の正当な権利を抑圧する不都合は全然ないのである。また解約申入の効力の発生従つて明渡義務の発生が、同法第三条によつて、解約申入の時から六ケ月後になることは、国家公務員のための国設宿舍に関する法律(昭和二四年法律第一一七号)第一九条の規定によつて、有料国設宿舍の明渡について六ケ月の猶予期限が定められていこるとから考えて、決して不当とはいえない。上述のとおり、社宅の賃貸借にも借家法の適用があるものと解すべきである。そうすると、「退社と同時に賃借社宅を明け渡す」旨の特約は借家法第一条の二及び第三条の規定に反し、賃借人に不利であることが明らかであるから、同法第六条によつてこれをなさないものとみなされるものである。従つてこの特約を有効に存在するものと判示して本訴請求を認容した原判決は違法というべく論旨は理由があつて原判決は破棄を免れない。しかし訴状によれば被上告人は上告人に対し、その退社以来度々本件家屋の明渡を求めたと主張しており、右明渡請求は賃貸借の解約申入と解すべきであるから、本件については解約申入の時期及びその正当性の有無についてなお審理判断の必要があるものと認められる。よつて民事訴訟法第四〇七条第一項に従い主文のとおり判決する。

(裁判長判事 田中正雄 判事 平峯隆 判事 藤井政治)

上告理由

原判決は借家法の解釈を誤つた違法があり破棄を免れない。即ち原判決は「従業員が退職と同時に社宅を明渡す定めのもとに社宅を賃借した場合には退職と共に当然明渡すべき義務が生するのである」と認定している。然しながら社宅使用関係は家屋の使用関係と労働関係の結合点に現れるものであることは謂うまでもないのであつてこの関係は雇傭契約の労働関係と社宅使用関係-本件では賃貸借関係-の二要素の包含せられたものと解せられねばならない。即ち労働関係はその開始の時点に於て直に社宅使用関係と結合しない-通常使用者はその従業員の社宅提供の義務はない-一たび右二個の関係が結合せられた場合に於て-従業員が社宅に居住し賃借している場合-一個の関係である労働契約関係の終了とともに直ちに社宅賃借関係が終了するか否かは、各具体的な事案における種々の条件(特約の有無等)や双方当事者の立場、又労働関係と社宅賃借関係の何れに重点を置くべきかにかかるのである。

本件に於ては第一に被上告人と上告人間に退職と同時に社宅を明渡すべき旨の特約は存せず、又仮にかかる特約が存在するとしても「退職即明渡」と為すことは、使用者は労働契約の終了後も尚相当の期間、労働者の生存を保護すべき義務を負つているのであるからひとたび社宅を提供した後は労働契約終了後も労働者が他に住居を求めて立退くことのできる相当の期間、当該労働者に社宅を使用せしめる義務を免脱せしめることになり極めて不当な契約と言わねばならず、しかも本件の如き当事者に争いのない「賃貸借関係」においては使用賃借関係と異り、借家法の要求せる「明渡を求める正当の事由」を必要とするのである。しかして前記の相当の期間とは通常の家屋賃貸借については解約申入期間が六ケ月であることから考え尠くともこれ以上の期間を必要とせらるべきであり、しかも本件上告人の退職は例のレツドパージの巻添による実質的強制退職の結果によるものであること、且現時の就職難、住宅難等に鑑み原判決の如く「退職即明渡」と解することは社宅賃貸借関係の法律解釈を誤つたものと言わねばならない。

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